2012年9月24日月曜日

ビルマ


コロンビアのシャーマンライフ
如何お過ごしでしょうか。
きっとレベルがどんどん上がっちゃって
もはや久蔵殿ほどの剣客になられているのではないでしょうか?



ミャンマーは一言で言うと
親切な所でした。






現在個人でミャンマーにて活動されている
中学時代の恩師市村先生
今回はその活動に参加させて頂きました。

一週間で10個の村を廻る弾丸トリップでしたが
どこの村に行っても
人は皆親切で
歓迎のセレモニーをやってくれました。




水上の村では船のセレモニー




舞いでお返しをしました。



ドギツイタバコでした。





踊りが好きな村人とお友達になりました。




村の学校の現状は大体がこんな感じでした。



それが




個人の力でこうする事ができる。
先生もかなりのガッツの持ち主でありました。







ヤンゴンという旧首都に戻ってからは
こんなのに乗ってみたり




ヤンゴンで唯一の音楽学校に入り浸ったりしていました。




81歳の大先生はビルマの竪琴改良版を演奏してくれました。
きれいな音でありました。






薬指が言う事を聞かないのです。
修行が必要です。





ここの生徒さん達にも相当に親切にしてもらい
カズさんとのインドでの戦いの日々を思い出すと
ここは本当に東南アジアか?
と思ってしまうくらい親切に恵まれた旅でした。

と同時にまだまだまだまだ修行が足らんなと痛感した旅でもありました。
しかし、今とても楽しく過ごせています。
年末に日本に留学しているミャンマー人のミュージシャンと
ミャンマー語でライブをやる予定です。


コロンビアでの生活
何かと大変な事もあるかと思いますが
それでも日々楽しんでいる姿が目に浮かびます。
お互い限りある時間を存分に楽しみ
適当に頑張りましょう!







2011年8月18日木曜日

ドントローイ



カズさん
だいぶさぼっておりました。
そしてベトナムにいってました。


HCMC!!

PHO
美味い!


やっぱメインは


裏路地探検!


BF




フエの橋が思い出されます。

Vbaba

かこいい


クチのトンネル入り口。
誰か入れよとガイドに言われ
入れそうな体格が私だけだったので
さんざ煽られてinしました。
中はだいぶ狭くて真っ暗。
出て来た時には『ベトコン!』
と呼ばれました。


かつてキクチ・アライ両同志と共に
大変お世話になった
M60と

AK47
撃った!

てんで当たらんよ




津部氏。

そして中国は広州へ

まさにこんなイメージしかなく

さらに人民はまったく話を取り合ってくれず
インド並の苦労がありました。


しかしなんとバブルな事か!!

満席のネットカフェではみんなネトゲーに夢中でした。

やっと見つけた安宿は
中国語を話せない奴は泊めてやらん!
と言われ追い出されました。

仲良くなったチョウ君。
いろいろと面倒を見てくれました。


またも裏路地!
ベトナムも中国も
牛がいないのが寂しい。



中国
強烈でした。
どこまでいくのか漢民族。



2011年2月3日木曜日

だいごろーさん



そう、そうなんですよ

先日うちの社長が誕生日を迎えられましてねえ

おめでたくも25歳になった訳なんです。

そこでワタクシ

愛社精神の塊サイトーサンと共に

忠誠の証としてご用意した訳なんです

貢ぎ物を。


あれこれ考えましたが

やはり

うちのしゃちょには

艶かしく

艶があり

時にチクッとしますが

本当は甘えん坊で

夜行性のあの子が良いかと思いましてねえ、

縁切寺へ駆け込む寸前の所を

当局の目を掻い潜り

危ないリスクを背負って

ようようえうえうタンザニアから

連れ去って来た訳なんですよ。

いやあ、苦労しました。

しかし

がんばった甲斐がありました。

プレゼントを渡した所

うちの社長ったら

もう

愛でる愛でる

今では

社員共々

すっかり骨抜きになっている始末にございますです。


日頃からお世話になっております

パーリーネパーリーのだいごろー様が

お帰りになるまでには

弊社の暗殺業務の主柱となれる様

調教しておきますので

新たな自慢の奉公人を

あの手この手で

可愛がって頂けたら

きっと社長も

お喜びになられるかと

思います。

写真を載せますので

帰国の際には

おやつを持ち帰って頂ければ

尚よろし。

それでは元気に旅を続けて下さいね。

これからも

アオキコーポレーションを

よろしくお願い致します。







名前は だいくん です。












かっこいい