自然は草木や動物色々な生物を育てて居ります。
人も例外ではありません。
しかし人は種を蒔いて世話をするから、自分が育てた様に思い
自然は偶然だと思いがちでありますが自然は人生の師でもあります。
原点に還って人生を考えてみたいと思います。
宇宙の中に生きる存在として、人とは何かと云えば
自然の中に生きる一種の生き物に変わりはない。
ならば自然の動きを見る事によってその心を知り
其の心に添うか逆らうかによって運命の分かれ道があります。
こうすれば運が向いてくると云う希望をもって生きるならば
一層大きな希望と勇気が湧いてくると思います。
生きた草や木は花を咲かせ人にも楽しませてくれます。
そして花が散れば美味しい味覚を枝が折れんばかりに成らせてくれます。
これが生きた草や木であります。
しかし同じ草や木でも緑の下のスカンポは花も咲かず
実も成りません。
それは外の暑さ寒さを受けないで生きているからであります。
人生においてもつらい事から逃れる事だけで
これが幸せだと思って人として生きる勇気を持たない人生は
心も弱くそして花も咲かず
実も成らない様な運命がやってきます。
暑さ寒さに立ち向かい風雨に曝されて育った稲だけが
豊かな実りの秋を迎えられます。
又、倉の中に積まれた米は何時までたっても
一粒は一粒。
増える事はありません。
外にだして田畑に蒔けば何十倍にも成って還って来ます。
目に見えない空気の中にも
気体分子と云って火に成る分子と
水に成る分子また氷に成る分子と
色々な分子が含まれています。
ですから
それにいろいろな方法を加える事によって
火にも水にも氷にもなると云われて居ります。
私達の命にも心と云う目に見えないものがあり
其の中に怒ったり笑ったりする分子が含まれていて
その者のもつ思想に依ってそれなりの運命がやって来ます。
人はみんな生きる為に努力をして居ります
しかし努力をしても間違った思想を持って努力しても無駄に成ります。
人はつらい事があるとそこから逃れようとして
其の為に更に苦しみの因を作ってゆくものであります。
例えば不況の苦しみから逃れようとして
アセリそしてアセリそしてストレスを溜めて
病気の因を作ってゆく事も多いと思います。
つらい時も笑顔で支え合いいたわり合って楽しく生きれば
自ずとストレスは消えて行きます。
不況や病気は人生の上り坂です。
熱を出して笑顔で立ち向かって行きたいものでございます。
平静にして待って居ても幸運はなかなかやって来ません。
だからといって悪に従えば運命に逆らう事になります。
笑顔で人生に立ち向かえば必ず幸運はやってきます。
川島 あきお
今日、駅のホームで電車を待っていると
徐に近づいて来たおじいさんが
「私の作文です。読んでください」
と渡してきた。
読み終わり、彼と話をしようと顔を上げたが
その姿はどこにも無く
ただ忙しい人々の行き交う姿だけが広がっていた。
孤高の老人はもはや話をする必要などなかったのだろう。
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